「はるかのひまわり」は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の犠牲者の一人である、加藤はるかさん(当時12歳)の名に由来しています。
震災後の夏、彼女が眠る場所に偶然残されていた種から一本のひまわりが咲きました。その花はやがて「はるかのひまわり」と呼ばれるようになり、人々の手によって種が受け継がれ、日本各地、さらには海外へと広がっていきました。それは、震災の記憶とともに、命の尊さや未来への希望を静かに語り継ぐ象徴となっています。
私もまた神戸の生まれ育ちであり、14歳のときにこの震災を経験しました。街が焼け野原のように変貌した光景は、今なお鮮明な記憶として心に残っています。
作曲活動を始めて以降、震災をテーマとした作品の依頼を受ける機会は幾度かございましたが、長らくそれらは辞退してきました。未曾有の災害を「表現する」ことへのためらいと、自身にはその重さに耐えられないという思いがあったためです。
しかし、「はるかのひまわり」の物語に触れたことで、その考えに変化が生じました。一粒の小さな種が、長い年月を経て人から人へと手渡され、社会の中に静かに根を下ろしていく。その姿に、自らもまた一人の被災者としての回想を「種」として残すことの意味を見出した、ということになりましょうか。
神戸野田高等学校 創立100周年を記念する委嘱作品として作曲された本作は、陸上自衛隊中部方面音楽隊によって初演されました。震災当時、被災地に水や食料を届け、生活を支えてくださった自衛隊員の姿は、私の記憶に深く刻まれています。その同じ手によって本作が音として奏でられたことは、私にとって特別な意味を持つ出来事でした。
震災そのものを直接描写する音楽的表現を用いたものではありません。描いたものは14歳の少年が目にした、荒涼とした神戸の記憶の断片のみ。その断片が音となり、やがて誰かの心にそっと根を下ろすことを、私はただ願っております。(井澗昌樹)
大阪教育大学教養学科芸術専攻音楽コース卒業。同大学大学院芸術文化専攻修了。作曲を澤田博、北川文雄の両氏に師事。
主な作品に、バリトン独唱と管弦楽のためのカンタータ「倭建命 流離譚」、トランペット八重奏曲「四季の奏鳴」など。吹奏楽作品に、「火の断章」(2008年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)、「Bye Bye Violet」、「愛の祭壇」など。